お庭ばなし

本当にあった庭の思い出。

庭は狭いほうがいいんだけど広いほうが好きという話

実家の庭は広い。

「庭というか林ですわ。わっはっは!」

と父が紹介していたくらい。

 

確かに車が入る場所以外はなにかしらの木が植えてあって

畑も栗林も竹林もある。

かといって、管理されているイギリスの広大な庭ではなく

本当に雑木林にあれこれ植えたような

雑多な庭だった。

 

でも昔からこうだったわけではない。

祖父母が元気なころはまめに手入れをしていたので

いつも何かしらの花が咲き

何かしら収穫できて

見た目も整えられてて、素晴らしい庭だった。

 

ようするに、会社勤めの父には手に余る広さと手間のかかる庭であり

しかも休みの日はゴロゴロしていたい人だったので

庭はどんどん荒れた。

 

母に何度も言われ、

仕方なく日曜日に草刈りをしていた父の姿を覚えている。

 

で、どんどん手入れが楽なように伐採していた結果

どこか殺風景だけど庭というには開拓中の林っぽい

仕上がりになったんだと思う。

 

父はそれで雑木林ですわといってごまかしていたんだと思う。

初めてうちに来た人はびっくりしていたから。

父は祖父母が作り上げてきた

管理の行き届いた庭を知っているから

今の姿を申し訳ないと多少は思ってたに違いない。

かといって少しでも美しくしようとは思わないのがうちの父だった。

 

大人になり、自分があの庭を管理する姿を考えると

仕事なんてやってられないと思う。

 

竹林だけでも大変なのに栗林が3か所もある。

木が大きくなり過ぎたら倒れる前に枝を切らないと

台風で折れてご近所も自分の家もダメージを受ける。

 

つまり

安全に暮らす為だけの作業でさえ一人じゃ無理。

春は竹の子を取らないと

庭が竹林になってしまう。

夏は雑草とのたたかい。

夏の間だけ、ヤギを借りれないだろうかと本気で思う。

秋は栗拾い。

イガの掃除、葉っぱの掃除が大変。

冬は柚子の実を取る。

取り切れない柚子は腐って落ちるので

水を含んだ腐った柚子を拾い集めて捨てなきゃならない。

 

そう、庭は食べ物であふれている。

戦後、時給自足で子ども5人を育てた

祖父母の努力の跡が庭に見える。

 

おかげで柿も柚子も栗もお金を出して買ったことがなく

上京してから

「本当に売ってる!」

と衝撃を受けた。

それらは庭から取ってくるものだったから

お金を払って買う、という感覚がまるでなかった。

初めて柿を買った時は自分の中でかなりの抵抗を感じた。

今だに栗は買ったことがない。

だって実家から送ってもらうから。

 

今となっては

帰省する度に庭仕事を手伝うのが楽しみであり

いつ帰っても一人じゃ行き届かない広さに唖然とする。

でもこれ以上狭いと寂しいと思ってしまう。

隅から隅まで遊び尽くした庭。

 

東京で仲良くなった人に

「あなたは余裕があるように見える」とよく言われる。

きっと裕福な家庭のお嬢様なんでしょうと言う。

 

短気で飽きっぽい自分がどうしてそう見えるのか不思議だったが

考えて見ればこんなに独特で広い庭で育った人は

そういないと思う。

 

あと、自分に無理させることはやらないという

父の潔さも影響していると思う。

 

実際の私は

どれだけダメと言われても

庭だけで飽き足らず

屋根も縁の下も制覇し

見つからないようにおやつを食べるような

子どもだったというのにね。