お庭ばなし

本当にあった庭の思い出。

庭は狭いほうがいいんだけど広いほうが好きという話

実家の庭は広い。

「庭というか林ですわ。わっはっは!」

と父が紹介していたくらい。

 

確かに車が入る場所以外はなにかしらの木が植えてあって

畑も栗林も竹林もある。

かといって、管理されているイギリスの広大な庭ではなく

本当に雑木林にあれこれ植えたような

雑多な庭だった。

 

でも昔からこうだったわけではない。

祖父母が元気なころはまめに手入れをしていたので

いつも何かしらの花が咲き

何かしら収穫できて

見た目も整えられてて、素晴らしい庭だった。

 

ようするに、会社勤めの父には手に余る広さと手間のかかる庭であり

しかも休みの日はゴロゴロしていたい人だったので

庭はどんどん荒れた。

 

母に何度も言われ、

仕方なく日曜日に草刈りをしていた父の姿を覚えている。

 

で、どんどん手入れが楽なように伐採していた結果

どこか殺風景だけど庭というには開拓中の林っぽい

仕上がりになったんだと思う。

 

父はそれで雑木林ですわといってごまかしていたんだと思う。

初めてうちに来た人はびっくりしていたから。

父は祖父母が作り上げてきた

管理の行き届いた庭を知っているから

今の姿を申し訳ないと多少は思ってたに違いない。

かといって少しでも美しくしようとは思わないのがうちの父だった。

 

大人になり、自分があの庭を管理する姿を考えると

仕事なんてやってられないと思う。

 

竹林だけでも大変なのに栗林が3か所もある。

木が大きくなり過ぎたら倒れる前に枝を切らないと

台風で折れてご近所も自分の家もダメージを受ける。

 

つまり

安全に暮らす為だけの作業でさえ一人じゃ無理。

春は竹の子を取らないと

庭が竹林になってしまう。

夏は雑草とのたたかい。

夏の間だけ、ヤギを借りれないだろうかと本気で思う。

秋は栗拾い。

イガの掃除、葉っぱの掃除が大変。

冬は柚子の実を取る。

取り切れない柚子は腐って落ちるので

水を含んだ腐った柚子を拾い集めて捨てなきゃならない。

 

そう、庭は食べ物であふれている。

戦後、時給自足で子ども5人を育てた

祖父母の努力の跡が庭に見える。

 

おかげで柿も柚子も栗もお金を出して買ったことがなく

上京してから

「本当に売ってる!」

と衝撃を受けた。

それらは庭から取ってくるものだったから

お金を払って買う、という感覚がまるでなかった。

初めて柿を買った時は自分の中でかなりの抵抗を感じた。

今だに栗は買ったことがない。

だって実家から送ってもらうから。

 

今となっては

帰省する度に庭仕事を手伝うのが楽しみであり

いつ帰っても一人じゃ行き届かない広さに唖然とする。

でもこれ以上狭いと寂しいと思ってしまう。

隅から隅まで遊び尽くした庭。

 

東京で仲良くなった人に

「あなたは余裕があるように見える」とよく言われる。

きっと裕福な家庭のお嬢様なんでしょうと言う。

 

短気で飽きっぽい自分がどうしてそう見えるのか不思議だったが

考えて見ればこんなに独特で広い庭で育った人は

そういないと思う。

 

あと、自分に無理させることはやらないという

父の潔さも影響していると思う。

 

実際の私は

どれだけダメと言われても

庭だけで飽き足らず

屋根も縁の下も制覇し

見つからないようにおやつを食べるような

子どもだったというのにね。

 

 

 

 

庭の雄鶏とは喧嘩する仲でした

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

~実家の庭の思い出話です。九州にある林のような庭で育ちました~

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「コケーッ!!」

雄叫びと共に飛びかかってくるニワトリ。

突然のことに振り返るのが遅くなってしまった。

なんか左のふともも裏が熱い。身体をひねって太ももを覗き込むと血が出ている。

「…は?」

玄関を開けて家に入ろうとしていた小学生の私が振り返ると

こちらをらんらんと睨みつけてくるニワトリと目があった。

 

一瞬、何がおきたか理解できなかったけどふと父の言葉を思い出した。

「雄鶏は発情期に襲い掛かってくるから気をつけろよ」

雄鶏、おんどり。オスのニワトリのことだ。

私をにらんでいるあのニワトリはオスだ。

どうやら人間の私を攻撃したらしい、と血が出てるのを見て理解した。

 

だってお父さん!気をつけろって言ったって。

私はただ歩いて家に入ろうとしただけなのに。

ニワトリ達はいつものように団体行動していて

庭の端から「ただいま~」って声をかけただけなのに。

雄鶏はわざわざ離れた場所からダッシュして私に襲い掛かってきたらしかった。

 

血を見た私はふつふつと怒りが湧いてきた。

当時の私はニワトリが可愛くて、せっせとご飯をあげたり

卵を取りにいったり、時々捕まえて抱っこしたり

子どもながらのお世話しているつもりでいた。

こいつ!

私がお世話してるのに!!

なんで!?

 

ニワトリがそんなに賢くないことは知っていた。

でも飛びかかってくるなんて!

赤いランドセルが良くなかったのか?

運悪く短パンをはいていた私は

雄鶏の爪でひっかかれ、太ももの裏に一筋の怪我を負わされたのだった。

こいつ!!

 

目を合わせたまま、ランドセルを家の中に放り投げた。

群れのリーダーであるこの雄鶏はけっこう大きい。

小学生の私からしたらちょっと怖いくらい。

ニワトリを捕まえることができた私だけど

この雄鶏は足が速くて警戒心も強く、捕まえたことがなかった。

 

私たちはにらみ合った。

あっちもまだまだやる気だ。

羽を少し浮かして

くわ~くわ~と唸っている。

 

こいつは一度倒さねばならない。

しかし私にはクチバシも長い爪もないのだ。

さてどうしたものか、と視線を走らせて目についたのが箒だった。

この間も完全にニワトリから目を離してない。

あいつは視線を外した瞬間また飛びかかってくる、とわかっていた。

 

箒は確認したが

室内用だからこれでニワトリを叩いたらお母さんに怒られるかな、

と一瞬悩んだ瞬間ニワトリの方が動いた。

もう迷ってられん!と箒を手に取り私は叫んだ。

 

「こらーっ!!!」

 

他になんか良い威嚇が無かったのかと思うけど、

小学生の私の口からはこれしか出てこなかった。

それでもまだ箒がなんなのかわかってないニワトリはバサッと羽を広げて

足を前に出し、私に向かって爪を向けてくる。

私はさっと横にずれてバシーン!とニワトリの背中を叩いた。

柄と逆の方だから大したダメージはないと思うけど

反撃されると思っていなかった雄鶏は驚いて叫んだ。

 

「コケーッ!!!??」

 

バサバサと羽で動揺をアピールしてくる。

しかし逃げない。

ちょっと離れて戦闘態勢のまま睨んでくる。

こいつ!!

 

なんとなく私は理解していた。

ここで舐められたら終わり。

ここで私のほうが強いと教えないと、

こいつはずっと私を襲ってくるようになるだろう。

 

今度はこちらから箒をかかげて向かっていった。

でも向こうはよく見ているのだ。

ただ箒を構えただけのはったりでは怖くもなんともないらしい。

ニワトリのこちらを攻撃するぞという態度は全然変わっていない。

ていうかじりじり近づいてくる。

 

ちょっと脅かすくらいじゃダメなんだ、と悟った私は

「この箒であんたを叩きのめすからね」という強い意思をもって箒を構えた。

軽くポン、と叩くつもりでは見抜かれてしまう。

怖くもなんともないのだこいつは。

やられる!という危機感を感じない限り

私は格下の烙印を押され、やつの攻撃対象から抜け出せないのだ。

 

その時の私は

侍が抜刀したかの如くの殺気を放っていたつもりだったが

はたからみれば箒をかかげた小学生の女の子がニワトリを叩こうとしているだけの図である。

 

当時の私もさすがにそれはわかっていたけど

もはや誰に見られても構わん、と思っていた。

いまこいつと本気で戦わねば、ずっと追いかけられるのだ。

 

覚悟を決めた私は踏み込み、同時に当時の全力で叩いた。

「コケーっ!!?」

2発目、ニワトリの動きも速い。

ひょいっとかわされ完全にヒットしていない。

それからはもう

必死で狙いを定めてバシバシ攻撃した。

声を出したほうが効果的だと思ったので、なんか叫んでたと思う。

 

そのうちニワトリも「こいつ、ずっとぶってくるじゃん!」と気が付いたらしい。

ついに背を向けて逃げ出した。

しめた!と追い打ちをかける。

奴はちょっと離れると隙を見てまた向かってくるからだ。

やはり最初に一撃くらってしまったのが悪かったらしい。

 

追いかけると逃げる。私が立ち止まる。

するとまたあいつがそろそろと歩き出し反撃のそぶりを見せる。

まだやるか!と箒を構え

全力で叩きに行く。

この繰り返し。

 近づいてこなくなるまで攻撃しようと思ったが

奴は私への攻撃を辞める気がない。

 

オンドリはしつこかった。

「もーいい加減にしろ~!!」

私は奴をニワトリ小屋に追いつめ、バシバシ連打した。

「コケー!!コケー!!」

この時、さすがに直撃は痛いだろうから、とちょっと手加減した。

でも他のニワトリもいたから、もう小屋は大騒ぎ。

 

ニワトリ小屋の騒ぎに気が付いた母が家から出てきたので

「おかあさーん!ニワトリがねー!!」と半べそで怪我を見せたことを覚えている。

 

さてはて

これでニワトリにも私のほうが強いとわかっただろう!と

やりきった感を感じていたが

このオンドリは翌朝、けろっとした顔で私に近づいてきた。

その距離と顔ぶり、羽の動きからし

「こいつ、隙あらば攻撃しようとしてる」とピンときた。

 

すかさず

「またぶつよ!!」

と怖い声を投げ、目で威嚇した。

 

すると奴は首を傾げ

「はあ?」という顔をしてきた。

腹がたった私はしれっと学校へいくそぶりで背中を向けかけたが

0.5秒で振り返った。

案の定、やつは私に飛びかかろうと羽をバサッとしている所だった。

「隙あり!」

 

ダンッ!!と踏み出してダッシュする私。

もちろん本気だ。

つかまえて羽むしってやる!という殺気だ。

「コケー!!」

しぶしぶ遠ざかるオンドリ。

周囲の雌鶏がケッコケッコと騒ぎながら奴についていく。 

 

奴とはそれ以来、庭で合ったらお互い視線でバチバチやる仲となった。

庭で奴の姿を確認したら、常に視界の端でキャッチしていた。

背中を見せたら襲ってくるから油断大敵。

 

しかしやられっぱなしでは面白くないので

私も彼にいやがらせをした。

群れのリーダーだった奴の目の前で、

ハーレムの一員(雌鶏)をさっと捕まえて抱っこしてみせるのだ。

可愛いね~となでなでしながらちらちら奴を見るのである。

するとオロオロしだすオンドリ。

 

どうしよう。攻撃したいな、でもなんかこいつ嫌だったよなという顔で見てくる。

迷ったあげく、よし!攻撃しよう!と近づいてきた瞬間

私は雌鶏を抱えたまま奴に向かって叫びながらダッシュする、

というしょうもないことをしていた。

 

ニワトリを可愛がっていた私だけど、

残念ながら一撃を受けてしまった時から、攻撃していい相手だと認識されてしまったのだ。

それからの私はとことん「怖いよ強いよ」を刷り込んだけど

奴は定期的にそれを忘れた。

何故わかるかというと、普通は近づいてこない距離まで近づいてこようとするのだ。

あ、こいつ攻撃していいんだったってふと思い出したような顔で

とっとこ向かいながら羽を広げ戦闘態勢に入っていくのである。

そのたび私はまたか、と思いながら「怖いよ強いよ」という威嚇をした。

 

このオンドリは私に野生のルールを教えてくれた先生だ。

動物は初動が大事だということ。

繰り返し刷り込むしかないということ。

本気で向き合わないとなめられるということ。

自分が動物的に行動する瞬間を体験させてくれた。

 

それ以外にもニワトリたちは狸に誘拐されてしまったり

順番に我が家の夕食になったりと

身をもって「命」について教えてくれた。 

 

今でもニワトリは好きだ。

いつかまた庭で放し飼いできたらいいなと思っている。

夕食にするのは無理だけど、

また喧嘩してもいいかなって思っている。

そんな気持ちが通じたのか、ある日野良ニワトリが我が家に住み着くのだが

その話はまたいつか。

 

 

 

雨の日にムカデが降る家

 

これは九州にある実家の庭の思い出話です。

虫が苦手な方はご注意ください。

 

実家はかなり古い家だったので隙間だらけでした。

なんせ断熱材という代物が使われていないので、床板の下は地面が見える部屋があるくらい。

 

築100年だ、という話を何年も父に聞かされていたので本当の築年数がぼやけてますが、まあ古いことは確かです。

古民家だったらお洒落でいいんですけど、平屋のなんのへんてつもない普通の家です。

 

で、時々父が怖いことを言うのです。

 

「雨の日は気をつけろ。ムカデが落ちてくるからな」

 

そんなことは知ってました。

夜、布団の上にぼとっと何かが落ちるのです。

眠いし気のせいだと思いたいけど

絶対なにかが落ちた音がする。

 

こーゆーときはさっと飛び起きて電気をつけます。

 

すると100%の確率で急に明るくなってびっくりしたムカデがふとんの上で固まってるのです。

 

ムカデが落ちる部屋は決まっていて、それでも2段ベッドの下の段にいるときは大丈夫でしたが

たたみに直接敷いてるとよく落ちてきました。

 

ムカデが落ちてきたらおかーさーん!

と叫びます。

別の部屋にいる母が箒をもって駆けつけてくれます。

 

「ああいやだ!気持ち悪い!」

と言いながらバシバシ叩き殺して

庭にぽいっと捨てます。

 

自分でも箒でぽいっと庭に掃き出してました。遠慮なくバシバシ叩いてね。

 

なんでこうなるかというと

雨の日は濡れたくないムカデが家に入り込むんだそうです。

んで、どんどん高いところへ登ろうとして天井にたどりつき

自分の重さで落ちる。

そこにちょうどよく私の布団があって

電気をつけた私が悲鳴をあげるのです。

 

でも父は殺すのは可哀そうだっていうんです。おいおい。娘が噛まれてもいいの?

 

父はいつものようにニタニタ笑いながらこんな話をしてくれました。

「昔、寝てたら足の親指が痛くて目が覚めたんだ。おかしいな、どう考えても足の親指が痛い。そう思って起き上がってみたらな」

 

「俺の足の親指にムカデがしがみついて一生懸命かじってるんだよ」

「ぎえええええ!」悲鳴をあげる私。

「痛かったよ~!ムカデは痛いぞ♪」

なぜか嬉しそうな父。

「それでムカデはどうしたの?」

「逃げたよ」

「は?なんでやっつけないの?」

「だってぇムカデだって一生懸命生きてるんだから。可哀そう」

(はあああああ!?何言ってんの?)

 

とまあこんな様子で、

ムカデが入ってこれないように家をリフォームするとか一切考えない父でした。

 

ムカデが降ってくる部屋なんてホラーでしかないんですけど。

 

とまあそんな実家ですから

私が子どもと帰省するときは、子どもがすっぽり入る大きな蚊帳を買って送りつけてから帰省しました。

 

で、子が蚊帳に入りきらなくなって

久しぶりに夏に帰省したら夜、懐かしいあの音が。

もうすっかり大人になって母になっていた私は思わずこう叫びました。

 

「おかーさーん!!」

 

狸のリアル狸寝入りを観察した庭

都会でも狸って出るんですよ。

東京ってコンクリートばっかりなイメージだし

その通りなんですけど

結構ぜいたくに森が残ってまして

そこに生き物が集中してる感があります。

 

狸だってそういうところにはいます。

うっかり人間に見つかる子もいて、私も見たことがあります。

 

でも九州は熊本の下の方にあった我が家の庭の狸は

人前に姿を現すなんてことしないザ・野生でした。

竹やぶや林で走り回っていた私でしたが、野生の狸は絶対昼間出てきませんでした。

だから狸なんて、いないものだという感じで生活していました。

 

でもある日、飼っていたにわとりが毎晩一匹ずつ殺されてしまうようになりました。

羽と血が小屋の一角に飛び散り、必死で抵抗した跡があったんです。

小屋の一部を食い破って侵入した狸によるものと判明。

父、激怒。

 

「ここ、罠しかけたからな。絶対入るなよ」

父が怖い声でいうので、さすがの私もこれはいかん、と

しばらく小屋の方にいかない事にしました。

狸は賢いので、そう簡単に罠にかかってくれません。

そしてやられてしまうニワトリ。

 

背中をまるめて罠を仕掛け直す父の後ろ姿には

絶対捕まえてやる、という執念を感じました。

 

そうはいっても普段、ニワトリに対して興味もなさそうな父ですが

無残に食い散らかしていく侵入者に対しては

ハッとするような怒りを抱いていました。

これはなんだろう。男性の本能なんだろうか。

 

もう、小屋を綺麗に直してそれでいいじゃないか、

何も気にせず庭を走り回りたい私はそう思っていましたが

けっこう父は粘ってました。

 

そんな中、やっと狸が罠にかかりました。

「おい来てみろ!捕まえたぞ!」

嬉しそうな父の声。

 

庭に出ると、黒い獣が横たわっています。

ちょっと怖い。

 

父はいつもの猫背でしゃがんでニタっと笑って言うのです。

「大丈夫だから。そっとこっちこい」

父の隣に行こうと、遠回りで近づいていったその時。

なんと猫が寄ってきました。

 

狸の顔も身体も真っ黒で、どこが目か生きているのかもわかりませんでしたが

「よく見てろ。たまに目を開けるぞ」

と父が楽しそうに言うので、父の近くにしゃがみこみながら

狸の顔辺りを見ていました。

でも目は開けていないようです。

 

そんなとき、飼っていた猫が何かを察して近寄ってきたのです。

おそるおそる、遠巻きに匂いを嗅ぎながら近づく猫。

猫の倍はあろうかという狸は横たわったまま。

ドキドキして見ていたら

パチっと狸が目を開けました。

しかも片目だけ。

 

それまで狸はぐったりと横たわり、

足には罠によって傷がつけられており、

黒くて見えないけどおそらくそこは出血しているようでべったりとしていました。

もう息も絶え絶えなんだろう、とその時は思っていました。

 

しかし猫が近づくと、パチ、パチ、としっかりまぶただけは動かして

猫との距離を確認するのです。

私はドキドキしました。

 

猫は狸を食べるんだろうか。

それとも狸のあの大きな口でがぶっと抵抗するんだろうか。

なんだか怖くなって私は家に入りました。

その日、父が言うには

狸は隙を見てがばっと立ち上がりさっさと逃げていってしまったそうです。

「え?いいの?」あんなに何日も罠をやり直していたことを見ていた私は

父にそう聴きました。

 

父は意外なことを言いました。

「いいんだよ。痛い目にあったから当分こないだろ」と。

狸はふだん、悪さをしない。ニワトリを殺したのはきっと子どもがいるからだ、とも言っていました。

うちのニワトリ数匹は狸に食べられてしまい、その分の制裁は狸が罠にかかって怪我をしたことで済んだようです。

当時は、ニワトリが可哀そうだったので

狸を捕まえたらやっつけて欲しいと思っていた私は

父の行動がいまいち理解できませんでした。

 

今になって思うと

父は野生の動物と共生したかったんだとわかります。

捕まえてすぐ殺さず、逃がさず、あえて子ども達の見せ物にしたのも、

ここは怖いところだぞ、と思い知らせるための行動だったのかもしれません。

いや、父のことだからただ面白がってただけかもしれませんが。

確かにその後、狸の襲来はやみました。

深夜にニワトリ小屋からニワトリの悲鳴が聞こえることもなく、

ほっとしたのを覚えています。

 

ちなみに敷地内の別の建物にじいちゃんとばーちゃんが住んでいたのですが

その2人に狸を見せると狸汁にされて皮は毛皮にされるぞ、あ~可哀そうと父は笑って言っていました。

 

数年後、おそらく別の狸がまたニワトリを狙って庭に侵入し

こんどはじーちゃんにつかまってしまいました。

狸は綺麗に皮をはがされて2階のベランダに洗濯物のようにつるされて、

風でくるくると回っていました。

それを見た時は心底びっくりしました。

じいちゃんとばあちゃんは狸を食べたのかな。やっぱり狸汁かな。

でも怖くて聞けませんでした。

 

あれ以来、何度帰省しても狸には合いません。

もううちの近所にはいないのかもしれませんね。

 

庭で何して遊んだかというと。

父曰く、実家の庭は300坪だそうですが

たぶんそこまで無いです。

父は話を大きくする人でしたから。

 

ほとんど何かを植えられていたので

子どもの頃はそんなに広いと思っていませんでした。

竹林と栗林があり、

柚子や柿の木を植えている一帯もありました。

ほぼ果樹園です。

祖母が何でも山から採ってきて、

ありとあらゆるものを庭で採れるようにしていました。

ゼンマイやワラビも庭で採るのが当たり前だったので

スーパーで買うと知ったときは驚いたくらいです。

 

そんな祖父母は孫である私達をいい意味で放っておいてくれました。

ガミガミ怒ることもなく、同じ敷地内に住んでいるけど

好きにさせてくれてました。

唯一、「ここはばあちゃんの大事なもんを植えているから入っちゃいかん」と

言われていたスポットがあり、それはこんにゃく畑でした。

こんにゃくを芋から加工するのはものすごく大変だとしったのは

ずっと後です。

 こんにゃくの茎って見た目がちょっと気持ち悪いんですよね。

 

さてそんな庭で30年前、何をして遊んでいたかというと

①木登り

庭にある全ての木に登る!という目標がありました。小6年あたりで全部の木に登り、ひとり満足した記憶があります。小学6年生でそんなことしてたくらいですから、キラキラしている女子ではありません。ずっとジャージだったし。同級生は付き合ってるだのなんだの言ってたけど、私にはそんな甘い思い出がありません。

 

いつもジャージで恥ずかしくないの?ってバカにしている言葉をクラスのどこかで聞いた気もしますが、運動しないけど動きやすいジャージが快適すぎて。お洒落に憧れている心もありつつ、スカートはいたら意識してるだの言われてめんどくさかったなあ。

 

子育てしてて気が付いたんですが、そりゃ6年間も一緒にいたら関係がじめじめしてきますよね。庭はそんなめんどくさいクラスメイトを忘れて無心で遊べる場所でした。

子ども見ていても、 小学5、6年生になると同じ学校の友達がメンドクサイんだなあって伝わります。

このタイミングで塾に通うとか、習い事するとか、学校以外の場所があるといいんだろうなって思います。

 

当時のわたしはひたすら中学校に希望を持っていました。

 

②植物観察

 

冬に、葉っぱの先の水滴が凍っているのを見て涙が出そうになりました。

なんて美しいんだろう。夢みたい!どうしてこれを眺めていちゃいけないんだろうか。どうして学校に行かなくてはならないんだろうか。

 

よく兄に「お前はおおげさすぎるぞ。おおげさマン!」と呆れられていたのですが

初めて見る自然にいちいち大げさに感動してしまう癖は治っていません。

そして自然というものはいつも同じではないので、いつ見ても大げさに感動してしまうのです。はい、お得な奴です。

 

実家の庭では、嘘みたいに小さい芽が可愛くて不思議でよく眺めていました。

ちょっと影になっている場所でひっそり生えている雑草がけなげで。絵本みたい。

道端でじっと見ていると、誰かに「何見ているの?」「変な子」と言われそうでしたから家なら安心して観察できました。

 

今思うと、かなり変な子だと思われていたんだろうなあ。

 

ちなみに、うっとりしながらじっと地面を見ていると、時々変な虫が出てきてヒィイ!!となることもよくありました。

 名前も知りたくないような気持ち悪い虫、思っている以上に存在します。

 

秘密基地ごっこ

二つ上の兄と秘密基地ごっこをよくしました。次第に兄は男しか入れない基地ばかり作るようになり、「女はきちゃだめ」と言われて悲しかったことを覚えています。

その男だらけの秘密基地でボヤを出して、消防車呼んだことありましたけどね。

私はドキドキしながら大人に怒られる兄を部屋から隠れて見ていました。

 

ターザンごっこ

私はロープが上手く結べないので、これは兄の出番でしたがいろんな木にロープをひっかけてターザンごっこをしてました。

庭の奥に、先が崖になっている竹藪があるのですが

兄はこの斜面を活かしてスリリングなターザンごっこをしてました。

あ~ああ~の折り返し部分が崖の下。うっかり手を離したら死にます。

わたしは怖くてできませんでした。

庭には斜めに生えている柿の木があり、そこにロープをつけて貰えると楽しいのですが、兄いわくつまらないのだそう。

 

確かこの柿の木、実が取りやすいようにわざと斜めにしたと聞いたような。

庭に果物がなるとですね、飽きるほど食べられるので本当に飽きます。

子どもの頃は柿も栗も竹の子もあまり好きではありませんでした。今では買うほど大好きです。 スーパーで買う時は勇気がいりましたよ。だってただで食べていたものですから。

 

雑草料理?

田舎の庭には刃物が落ちてます。

野菜の葉を落とす為の錆びた古い包丁があったのですが

小学生の私は柔らかそうな雑草を取ってきて、その辺にあった錆びた包丁で刻み、餌と水を混ぜてニワトリに出していました。

ニワトリはものすごく喜んで

「コケーッ!コケーッ!」とガッついて食べるのが面白くて

暇な時にこの雑草料理をしていました。

 

しかしあの草は本当にニワトリが食べて良い草だったんだろうか?

親もよく怒らないでいてくれたな、と思います。

「あらご飯あげてくれたの?」

なんて言われてたような。

 基本的にやりっぱなしなので、餌の袋をちゃんと閉めなさい、使った包丁を元にもどしなさいって怒られました。子どもの私からみたらその辺にあったんですけど、ちゃんと定位置があったらしいです。

 

そもそも、なぜ草を混ぜたかというと、庭で放し飼いしていたニワトリを観察していたら草をプチプチ突っついていたからです。あ、ニワトリも草食べるんだ。乾燥した餌ばかりじゃ栄養が足りないよね。なんて思ったんだと思います。

 

このニワトリにはたくさん思い出があるなあ。

 

縁の下でおやつを食べる

 

縁の下ってひんやりして涼しいんですよ。母が汚いし危ないから入っちゃだめ!っていうんですけど、まあ入りますよね。縁の下は土間みたいに固い砂の地面ですこしつるつるしているのです。

そういえば、リフォームする前は土間がありました。寒かった。

 

縁の下に1人で潜って、おやつを食べるのが好きでした。

低いのでまず座れないし、ほふく前進なので身体も辛い筈なんですけどね。

身体が大きくなってくると快適じゃなくなったのでいつの間にか潜らなくなりました。

 

屋根の上でおやつを食べる

 

たぶん、なんかテレビで見たんでしょう。「危ないから屋根に登っちゃダメ!」と母に言われてましたが、まあ登りますよね。

こういうのを最初に教えるのは兄で「ほら、ここからなら登れるぞ」と指さして教えてくれるのです。最初は怖くて登れないのですが大丈夫。子どもはすぐ登れるようになります。

瓦の屋根は暖かくて、夕方になると登っておやつを食べたりしてました。景色がいいとは思いません。ただ登った達成感だけです。

かなり滑りやすいし、カチャカチャ音がなるので台所にいる母にばれないようにそっと登って降りる。ゲーム感覚でした。

 

しょうもない遊びが大半ですが、これらの経験を東京育ちの子ども達は全く経験していません。実家に連れていった時に「木登りしていいよ」といっても怖くてできないのです。

生まれ育った環境の違いだと思っていたのですが、よくよく考えたら大人しい弟と妹はそんなことしてないんですよね。

 

もし、私の娘達が実家に住んでいたとしても、縁の下には潜らず屋根にも登らない気がしてきました。

 

子どもは皆、木に登りたい生き物だと思っていたのはたぶん違うのでしょう。

さて、これを読んだあなたは木のぼりしたい派ですか?

考えもしない派?

 

もう身体も重くて実際に登ることはありませんが

公園で木を見ると

「この木なら登れるな」

と思ってしまいます。

 

今は都心に住んでいますが、子どもと公園に行った時に姿は見えないのに上のほうから子どもの声がしたことがありました。

探すと木の上に子どもがいるではありませんか!

かなり高い木でしたが、子どもが2人そこに登ってお菓子を食べていました。

あの子達とは何かしら同じ遺伝子を持っているに違いない。

 

父とモグラ

皆さんは、生きたモグラを見たことがありますか?
昔、父の手の中にいたモグラはどうみてもぬいぐるみでした。
これは私が小学生の頃、実家の庭で起きたお話です。

 

「おーい!子ども達こーい!」

父の声が玄関からした。

庭仕事をしていた父は何か見つけると、こうして私達を呼ぶのだ。

めずらしく、玄関の中に入って呼ぶので急いで出ると

父は両手で何かを持っている。

にやにやと楽しそうな顔で。

 

モグラ捕まえたぞ」

「え?モグラ?」

私たちは興奮して庭にでた。

 

庭にモグラの穴があるのは知っている。

ぼこぼこと柔らかくなっているモグラの通り道らしい盛り上がった土を

靴で踏んで遊んでいた。

でも土の中にいるモグラを見た事は一度もない。

ちょっと庭を走る、とかそんな姿を見れるわけもなく

モグラといえば盛り上がった土のことだった。

 

父は庭の固い地面のところに立つとそっと手を開いた。

私はびっくりした。

土なんかついていない、つやつやのこげ茶色の毛並み。

ピンク色の鼻と短い手足。

父がモグラと呼んでいるそれは、どうみてもぬいぐるみにしか見えなかった。

 

「これ本当にモグラなの!?」

とアホなことを聞いたくらい、

ふわっふわの毛並みはぬいぐるみそのものだった。

 

「そうだよ~ほら」

ジタバタするそのぬいぐるみの顔を見せてくれた。

「ほとんど目は見えないんだ」

どこにあるのかわからないくらいのちいさい粒が

どうやら目らしい。

目も毛並み動揺のこげ茶でぱっと見は目がないように見える。

 

鼻をずっとぴくぴくさせて顔を動かしていたので、

確かに目は見えてないんだろうと思った。

触りたい、と言ったら逃げるからダメと言われた。

確かに、あんなにジタバタされたらびっくりして

私は逃がしてしまったと思う。

 

「面白いもんみせてやるぞ」

そういって、両手でモグラをもったまま父はしゃがんだ。

足元の地面にモグラを離すと

モグラはものすごい勢いでその土を掘り出した。

 

みるみる土が盛り上がっていく様子に驚いていると

「はーい!これ以上やるとやわらかい土に逃げるから」

といってまたモグラを捕まえた。

 

父はわざと、固い地面の上にモグラを離して

私たちにモグラが土を掘るところを見せてくれたらしい。

数か所、穴を掘らせて私達に見せたあとは

ぽいっとやわらかい土のほうに逃がしてしまった。

「可哀そうだからな」

 

あちらはおばあちゃんがこんにゃく芋を植えてるところだけどいいのかな、なんて思いつつ

やっぱり持ってみたかったと思ったのを覚えている。

おばあちゃんはこんにゃく芋をすごく大事にしていて

そこには絶対入っちゃいかん、と常に言われていたのだ。

 

それにしても両手の大きさに比べ、小さな顔。

漫画のように両手がぐるぐる回るようにうごいて

ものすごい速さで土に潜る。

そしてビロードの毛並み、とはまさに!

モグラの毛並みはつやつやでふわふわで本当に素晴らしかった。

 

私はあれ以来、生きたモグラを見たことが無い。

モグラの穴を全部潰したら出てくるかな、とひたすら踏んでみたけど

私はモグラの捕まえ方を編み出せなかった。

それにしても一体、父はどうやって生きたモグラを捕まえたのだろう?

父は数年前に亡くなってしまい、今となっては父流モグラの捕獲方法を知ることができないのが残念だ。

 

モグラは今も、あの庭にいるだろう。

あのつやつやの素晴らしい毛並みで。

 

それから数年後、猫がモグラを捕まえて母にプレゼントする、という事件が起きたのだがそれはまた今度。

 

庭と父・蛙をくわえた蛇を見た

※これは筆者の子ども時代の思い出です。

 

「おーい!子ども達こーい!」

 

父がこう叫ぶ時はきょうだい揃って庭に出ます。

父の口調からなにか面白いことがあるぞ、とわかるんです。

 

「うちのは庭じゃありません、雑木林です」

父は庭のことを人にそう紹介していました。

庭つき一軒家といえば響きは良いけど、その庭がなんせ広すぎました。

敷地内に家は2軒。祖父母と私達の家。

その家より庭のほうが数倍広く、祖母が色んな食べ物を植えていました。

柿、梅、柚子、竹の子は家を出るまでお店で買ったことがありませんでした。

 

労働が嫌いな父は、雑草をはらうことも億劫がる人で

母にせっつかれて仕方なく作業着を着て週末庭に出ていました。

 

その父が、時々庭から子ども達を呼ぶのです。

急いで靴を履いて庭に出ると、ここに並んで座れという。

その時はきょうだい4人のうち全員いたのかどうかあいまいですが、

ぞろぞろと父の横にしゃがみ込んだことを覚えています。

 

ほんの数メートル向こうに蛇がいました。

いやにゆっくり、こちらに向かってくる。

びっくりして腰をあげようとすると「大丈夫だ」父は笑って言います。

 

「見ろ。蛙をくわえているぞ」

「えっ?」

よく見ると、蛇の口から蛙の足が漫画みたいに2本飛び出していた。

蛇は蛙に頭からがぶりと食らいついたらしい。

 

一度に飲み込むには蛙が少し大きかったようで、蛙の丸いお腹から下がそのまんま蛇の口から生えていました。

蛙を口にくわえているなら、噛まれないだろう、と私は父の隣に腰をおろしました。

 

自分の身体と同じかそれ以上の幅の蛙をひと飲みに出来ないまま、ゆっくり蛇はこちらに向かってくる。

どうも、縁の下に潜りたいらしい。

 

「縁の下でゆっくり飲み込みたいんだろ」

と父が言うのでなんとなく状況がわかった。

 

せっかくご馳走にありつけたのに、たまたま傍にいた人間が騒ぐので

蛇は蛙を最後まで飲み込んでいられなかった。

暗くて静かな場所を探して移動していたら

大きい人間と小さい人間がぞろぞろ出てきて

蛇の行進を凝視しているのだ。

ますます落ち着かないに違いない。

 

でも蛇が動揺しているようには見えなかった。

蛙を咥えた頭だけを動かさず、器用な動きで庭を横断している。

私は蛇が蛙をごくんと飲み込むところが見れるかもしれない、

と期待と怖さを感じていたが

そんなリクエストに応えてくれるわけもなく蛇は縁の下にもぐっていきました。

私がついさっきまでいた部屋の下に。

 

「あーあ、行っちゃった」と父が残念そうに呟きました。

父がしぶしぶ庭仕事に戻っていきました。

あの時の父は心底楽しそうだったな。

 

庭に蛇がいるのは知っていたけど

人間とは生活スタイルが違う蛇とは滅多に会えない。

生活スタイルの違いというのは、お互い存在しているのに気づけないパラレルワールドに近いと感覚だと思う。

普段はそれぞれの世界で生きていて、交わることなんかほぼないのです。

 

例えば大人になった兄と私は上京し、10年ほど3キロ圏内に住んでいたけど

街で偶然会ったのはたった2回しかない。

近くに住んでいる、とお互いに知っていたのに

会うと妙な感じがした。「あれ?なんでここに存在しているの?」みたいな。

 

10年で2回というのは、庭に住んでいる蛇とばったり会うのと同じくらいの頻度だ。

いやもうちょっと蛇のほうが会えるかもしれない。

生活スタイルが違うということは、どんなに近くに住んでいても日常では滅多に会えないということ。

 

父は林のようなこの庭で、普段は会えないパラレルワールドの住民に出合わせてくれました。

そのことに気が付いたのは大人になってから。

私たちきょうだいにとって当たり前の経験は

どうも特殊らしい、ということに最近気が付いてきました。

 

こないだ母に話したら

「知らなかった!お父さんそんなことしてたの?それ絶対文章にして誰かを楽しませて欲しいわ」というので思い出しながらこうして書いています。

 

確かに、蛇が獲物を丸のみにするのは知識として知っていたけど

それを庭先で見れるなんて貴重な経験だと思う。

父が呼んでくれなかったら一生見る事はなかったかもしれない。

 

当時、縁の下にもぐりこんで遊んでたけど

蛇に出会ったことは一度もありません。