お庭ばなし

本当にあった庭の思い出。

庭で何して遊んだかというと。

父曰く、実家の庭は300坪だそうですが

たぶんそこまで無いです。

父は話を大きくする人でしたから。

 

ほとんど何かを植えられていたので

子どもの頃はそんなに広いと思っていませんでした。

竹林と栗林があり、

柚子や柿の木を植えている一帯もありました。

ほぼ果樹園です。

祖母が何でも山から採ってきて、

ありとあらゆるものを庭で採れるようにしていました。

ゼンマイやワラビも庭で採るのが当たり前だったので

スーパーで買うと知ったときは驚いたくらいです。

 

そんな祖父母は孫である私達をいい意味で放っておいてくれました。

ガミガミ怒ることもなく、同じ敷地内に住んでいるけど

好きにさせてくれてました。

唯一、「ここはばあちゃんの大事なもんを植えているから入っちゃいかん」と

言われていたスポットがあり、それはこんにゃく畑でした。

こんにゃくを芋から加工するのはものすごく大変だとしったのは

ずっと後です。

 こんにゃくの茎って見た目がちょっと気持ち悪いんですよね。

 

さてそんな庭で30年前、何をして遊んでいたかというと

①木登り

庭にある全ての木に登る!という目標がありました。小6年あたりで全部の木に登り、ひとり満足した記憶があります。小学6年生でそんなことしてたくらいですから、キラキラしている女子ではありません。ずっとジャージだったし。同級生は付き合ってるだのなんだの言ってたけど、私にはそんな甘い思い出がありません。

 

いつもジャージで恥ずかしくないの?ってバカにしている言葉をクラスのどこかで聞いた気もしますが、運動しないけど動きやすいジャージが快適すぎて。お洒落に憧れている心もありつつ、スカートはいたら意識してるだの言われてめんどくさかったなあ。

 

子育てしてて気が付いたんですが、そりゃ6年間も一緒にいたら関係がじめじめしてきますよね。庭はそんなめんどくさいクラスメイトを忘れて無心で遊べる場所でした。

子ども見ていても、 小学5、6年生になると同じ学校の友達がメンドクサイんだなあって伝わります。

このタイミングで塾に通うとか、習い事するとか、学校以外の場所があるといいんだろうなって思います。

 

当時のわたしはひたすら中学校に希望を持っていました。

 

②植物観察

 

冬に、葉っぱの先の水滴が凍っているのを見て涙が出そうになりました。

なんて美しいんだろう。夢みたい!どうしてこれを眺めていちゃいけないんだろうか。どうして学校に行かなくてはならないんだろうか。

 

よく兄に「お前はおおげさすぎるぞ。おおげさマン!」と呆れられていたのですが

初めて見る自然にいちいち大げさに感動してしまう癖は治っていません。

そして自然というものはいつも同じではないので、いつ見ても大げさに感動してしまうのです。はい、お得な奴です。

 

実家の庭では、嘘みたいに小さい芽が可愛くて不思議でよく眺めていました。

ちょっと影になっている場所でひっそり生えている雑草がけなげで。絵本みたい。

道端でじっと見ていると、誰かに「何見ているの?」「変な子」と言われそうでしたから家なら安心して観察できました。

 

今思うと、かなり変な子だと思われていたんだろうなあ。

 

ちなみに、うっとりしながらじっと地面を見ていると、時々変な虫が出てきてヒィイ!!となることもよくありました。

 名前も知りたくないような気持ち悪い虫、思っている以上に存在します。

 

秘密基地ごっこ

二つ上の兄と秘密基地ごっこをよくしました。次第に兄は男しか入れない基地ばかり作るようになり、「女はきちゃだめ」と言われて悲しかったことを覚えています。

その男だらけの秘密基地でボヤを出して、消防車呼んだことありましたけどね。

私はドキドキしながら大人に怒られる兄を部屋から隠れて見ていました。

 

ターザンごっこ

私はロープが上手く結べないので、これは兄の出番でしたがいろんな木にロープをひっかけてターザンごっこをしてました。

庭の奥に、先が崖になっている竹藪があるのですが

兄はこの斜面を活かしてスリリングなターザンごっこをしてました。

あ~ああ~の折り返し部分が崖の下。うっかり手を離したら死にます。

わたしは怖くてできませんでした。

庭には斜めに生えている柿の木があり、そこにロープをつけて貰えると楽しいのですが、兄いわくつまらないのだそう。

 

確かこの柿の木、実が取りやすいようにわざと斜めにしたと聞いたような。

庭に果物がなるとですね、飽きるほど食べられるので本当に飽きます。

子どもの頃は柿も栗も竹の子もあまり好きではありませんでした。今では買うほど大好きです。 スーパーで買う時は勇気がいりましたよ。だってただで食べていたものですから。

 

雑草料理?

田舎の庭には刃物が落ちてます。

野菜の葉を落とす為の錆びた古い包丁があったのですが

小学生の私は柔らかそうな雑草を取ってきて、その辺にあった錆びた包丁で刻み、餌と水を混ぜてニワトリに出していました。

ニワトリはものすごく喜んで

「コケーッ!コケーッ!」とガッついて食べるのが面白くて

暇な時にこの雑草料理をしていました。

 

しかしあの草は本当にニワトリが食べて良い草だったんだろうか?

親もよく怒らないでいてくれたな、と思います。

「あらご飯あげてくれたの?」

なんて言われてたような。

 基本的にやりっぱなしなので、餌の袋をちゃんと閉めなさい、使った包丁を元にもどしなさいって怒られました。子どもの私からみたらその辺にあったんですけど、ちゃんと定位置があったらしいです。

 

そもそも、なぜ草を混ぜたかというと、庭で放し飼いしていたニワトリを観察していたら草をプチプチ突っついていたからです。あ、ニワトリも草食べるんだ。乾燥した餌ばかりじゃ栄養が足りないよね。なんて思ったんだと思います。

 

このニワトリにはたくさん思い出があるなあ。

 

縁の下でおやつを食べる

 

縁の下ってひんやりして涼しいんですよ。母が汚いし危ないから入っちゃだめ!っていうんですけど、まあ入りますよね。縁の下は土間みたいに固い砂の地面ですこしつるつるしているのです。

そういえば、リフォームする前は土間がありました。寒かった。

 

縁の下に1人で潜って、おやつを食べるのが好きでした。

低いのでまず座れないし、ほふく前進なので身体も辛い筈なんですけどね。

身体が大きくなってくると快適じゃなくなったのでいつの間にか潜らなくなりました。

 

屋根の上でおやつを食べる

 

たぶん、なんかテレビで見たんでしょう。「危ないから屋根に登っちゃダメ!」と母に言われてましたが、まあ登りますよね。

こういうのを最初に教えるのは兄で「ほら、ここからなら登れるぞ」と指さして教えてくれるのです。最初は怖くて登れないのですが大丈夫。子どもはすぐ登れるようになります。

瓦の屋根は暖かくて、夕方になると登っておやつを食べたりしてました。景色がいいとは思いません。ただ登った達成感だけです。

かなり滑りやすいし、カチャカチャ音がなるので台所にいる母にばれないようにそっと登って降りる。ゲーム感覚でした。

 

しょうもない遊びが大半ですが、これらの経験を東京育ちの子ども達は全く経験していません。実家に連れていった時に「木登りしていいよ」といっても怖くてできないのです。

生まれ育った環境の違いだと思っていたのですが、よくよく考えたら大人しい弟と妹はそんなことしてないんですよね。

 

もし、私の娘達が実家に住んでいたとしても、縁の下には潜らず屋根にも登らない気がしてきました。

 

子どもは皆、木に登りたい生き物だと思っていたのはたぶん違うのでしょう。

さて、これを読んだあなたは木のぼりしたい派ですか?

考えもしない派?

 

もう身体も重くて実際に登ることはありませんが

公園で木を見ると

「この木なら登れるな」

と思ってしまいます。

 

今は都心に住んでいますが、子どもと公園に行った時に姿は見えないのに上のほうから子どもの声がしたことがありました。

探すと木の上に子どもがいるではありませんか!

かなり高い木でしたが、子どもが2人そこに登ってお菓子を食べていました。

あの子達とは何かしら同じ遺伝子を持っているに違いない。